"タイメックス・クロニクル" - タイメックスと時が紡いだアメリカ物語



連載① 大衆を魅了した インガーソルのダラーウォッチ



1990年代から時計をフィールドに取材・執筆活動を続けるジャーナリストの名畑政治氏は、実はタイメックスの熱烈なファン。時計をはじめ、歴史的な広告なども熱心にコレクションしているという。そこで、メンズウェアについての造詣も深く、ヴィンテージ・クロージングやミリタリー・アイテム、アウトドア・グッズの収集家としても知られる名畑氏自身のタイメックス・コレクションをベースに、これまであまり語られることのなかった、タイメックスの知られざる歴史を紐解いていただこう。

文/名畑政治
写真/江藤 義典(fraction)





クロックから始まったタイメックスの歴史

19世紀なかば、アメリカ合衆国に相次いで時計メーカーが設立されました。タイメックスの源流のひとつである「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」も、そのひとつ。同社は1854年にコネティカット州ウォーターベリーにて創業しました。

創業当初、「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」は置時計・掛時計の生産を行っていましたが、1877年からは懐中時計の製造にも進出。1880年には懐中時計を専門に製造する姉妹会社である「ウォーターベリー・ウォッチ・カンパニー」も設立しました。



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※20世紀初頭の「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」の雑誌広告。同社はダイアルに夜光が入ったものやないもの、腕時計から社名の通りのクロック(置時計)まで、幅広い製品をリリースする総合時計メーカーでした。



1891年に起こった鉄道の悲劇が米国時計の精度を飛躍的に向上させた

この時代、アメリカでは世界に先駆けて、均質な時計の大量生産に成功。1870年代ごろからはスイスを凌駕するほどの高い品質と生産性を実現し、世界中でアメリカ製懐中時計が販売されるようになっていました。

そんな時代、ひとつの事件が起こります。それは1891年4月19日、高速で走行する速達郵便列車「No.4」がオハイオ州キプトンでアコモデーション号と衝突。両列車の機関士と6名の乗務員が犠牲となる痛ましい事故でした。原因はアコモデーション号の車掌が時計を確認せず、さらに機関士の時計が4分遅れていたことでした。

この事件をきっかけに、当局は鉄道における時間管理の重要性に気づき、これを正確に運用するシステムの開発を指示。これによってアメリカ製懐中時計の精度は飛躍的に向上したのです。しかし、精度が向上することは同時に時計の高級化と高額化を招き、一般庶民が手軽に買えるものではなくなることを意味します。



時計大衆化の革命児"ヤンキー"生みの親

この流れに反旗を翻したのがロバート・H・インガーソルでした。彼は1892年から、自らが設立したカタログ通信販売を手掛ける「インガーソル」社から「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」に生産委託した廉価な懐中時計の扱いを開始しました。これが実用できる廉価な時計を求めていた人々に大ヒットしたのです。

さらに1895年には「インガーソル」から「Yankee(ヤンキー)」と命名された懐中時計が、わずか1ドルで発売され、「ダラー・ウォッチ」と呼ばれて世界的な大ヒットとなりました。この「ヤンキー」と命名された懐中時計は1898年に年間100万個が販売され、20年間で実に4000万本ものセールスを記録したのです。

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※「インガーソル・ウォッチ・カンパニー」の広告。もともとカタログ通信販売からスタートした「インガーソル」は、「ウォーターベリー・クロック・カンパニー」に製造委託した懐中時計を販売しました。当時の広告を見ると、黒ダイアルや白ダイアル、少し小ぶりの婦人用まで、手頃な価格ながら幅広いバリエーションをそろえていたことがわかります。



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※20世紀初頭、「インガーソル/ヤンキー」の雑誌広告。この時の表示価格は1ドル50セントとなっています。この広告に書かれた「Dependable Time and a Carefree Mind for Active People(働きものの我々に頼もしい精度と堅牢性)」というコピーは実に秀逸です。



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※1895年、「インガーソル・ウォッチ・カンパニー」は、わずか1ドルの懐中時計「ヤンキー」を発売。これは農業、工業、鉱山の労働者はもちろん、著名な作家にも愛用されました。



ジーンズに今も残る第5のポケットこそ懐中時計が大衆に親しまれた証拠

当時、このように普及品から高額で高精度モデルまで、幅広いラインナップを実現したアメリカの懐中時計が、どれほど庶民、とりわけ人口の多くを占めていた労働者に普及していたのかは、この時代のワークウェアを見るとわかります。それは労働者が着用する「チョア・ジャケット(chore jacket)」と呼ばれる上着(カバーオール)や胸当て付きのオーバーオール(パンツ)に、ほぼ例外なく懐中時計を収めるためのスリット式のポケットが設けられていたことです。

また、現在ではコイン・ポケットと呼ばれることの多いデニム・ジーンズの右ポケット内側にある小さなポケットも、実はウォッチ・ポケットであり、本来は懐中時計を収納するためのものでした。

カバーオールやオーバオールの懐中時計用のスリット・ポケットは1950年代ごろには消滅してしまいますが、ジーンズのウォッチ・ポケットは今も健在です。

かつて懐中時計を持つことがアメリカの人々にとって常識であり、どれほどまでに誇らしいことであったのか。ジーンズの小さなポケットが、その事実を今に伝えているのです。



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※鉄道員や労働者が作業着として着用した「チョア・ジャケット(カバーオール)」の胸には懐中時計を収めるためのスリット状のポケットが取り付けられ、鎖や革紐に装着した懐中時計をここに収めるのが、当時の粋なスタイルでした。このスリット状ポケットは懐中時計から腕時計に時代が完全に移行する1950年代ごろまで、ジャケットやオーバーオールの胸に取り付けられていました。

※名畑氏のコレクションである、このジャケットはラングラーの製造販売元として知られるブルーベル社が1950年代に販売した「BIG BEN」ブランドの製品。打ち込みの強いインディゴ染めの生地は、現在の製品に比べ粗野な風合いですが、着込むほどに身体に馴染みます。



次回は1950年代に全米のキッズを熱狂させた実写版ウエスタンヒーローとタイメックスの物語をお届けします。