世界で最も売れたスポーツウォッチ、アイアンマン®が誕生したのは1986年。生みの親、ジョン・T・フーリハンが当時を振り返る。



photo courtesy_ John T. Houlihan

interview_ デヴィッド・G・インバー / David G. Imber

text_ 吉田実香 / Mika Yoshida



Vol. 2 IRONMAN®の誕生秘話。

A GIANT IS ROUSED BY AN IRONMAN®



ーー『アイアンマン』シリーズは、長年に渡りスポーツウォッチの代名詞として世界中で愛用され続けているベストセラーです。どのような経緯で誕生したのでしょうか。

ジョン・T・フーリハン(以下H) そもそもはデジタル商品部のマネージャー、マリオ・サバティーニの発案だ。当時スポーツウォッチといえば、単に手元で時間を知るためのもので、付加機能などタイマーやストップウォッチが関の山だった。マリオは、最近話題の複合競技に絡めてこれまでにないスポーツウォッチを作りたい、と主張した。



ーー1978年にハワイで正式に始まったアイアンマン・トライアスロンですね。その後アイアンマン世界選手権へ発展します。

H ラップメモリー機能、それも8ラップを搭載したいという。マリオはランナーでもあるのだが、ラップごとのタイムを知ることがいかに大切かを私に説いた。電子回路(モジュール)開発チームも意欲に火が付けられ、開発に試行錯誤する中、マリオは私にこう言った。「これは前例のないユニークな製品だ。だから見た目も前例のないユニークなものでなくてはいけない」。これが『アイアンマン』の前身となる『トライアスロン』の始まりで、1984年のことだ。

 プッシュボタンは従来のようにケースの横ではなく、時計のおもて面に付けた。走りながら押しやすいからだが、一風変わった見た目になった。しかもフェイスは四角ではなく、下がフラットな円型だ(訳注:この独特なフォルムは、横にするとアルファベットのDに見えることから、のちに"Dシェイプ"呼ばれる)。かつてないユニークなルックスだ、と皆の意見も一致した。

エンジニアリングは韓国のHandok社に外注した。おかげで大変やりやすかったね。というのも自社エンジニアだと、製造部門のマネージャーと必ず対立する(笑)。Handokは最良のやり方を探り出し、やり遂げた。私が出会った中で彼らを凌ぐエンジニアはいない。ちなみにケースは日本のセイコー・エプソンが製造を担ってくれたんだよ。



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※1985年のカタログに掲載の『トライアスロン』。



ーーアスレチック大国アメリカのアイコン的ウォッチには、実は韓国や日本の技術が発揮されていたのですね。最も苦労された部分というと?

H 何しろアイアンマン・トライアスロンは海を3.86Km泳ぐところから始まる。それに耐える100メートル防水だけにケース製造時の許容誤差は厳密だ。プッシュボタンが操作されるたびにわずかな隙間から水が浸入するのを防ぐのに苦心した。これもエンジニアチームのお手柄だ。モジュールも既製品ではなく、この製品のため独自に開発した。



ーー1984年当時、社内での評判は?

H 販売部からは「なんと不格好な!」と酷評されたよ(笑)。彼らがこれまでの人生で見てきたウォッチとは似ても似つかない代物だったからだ。その上、値段も高かった。一般的なデジタルウォッチは10ドルほどで買えた。『トライアスロン』は30ドルした。きっと大コケする、大失敗だ、とさんざんこき下ろされたが、発売と同時に爆発的に売れた。これには誰もが驚いたね! 中でも販売部は信じられない様子だった。大成功を受けてマリオはワールド・トライアスロン・コーポレーション(アイアンマン大会の主催者)に働きかけ、商標である『アイアンマン』のライセンス権を得た。それもひとえに『トライアスロン』の成功あってこそだ。



ーーいよいよ『アイアンマン』誕生ですね。

H 中身は『トライアスロン』、だが見た目は全くの別物に、がマリオの要求だ。色を加え、ストラップもゴツゴツとしたものに変えた。ただしプッシュボタンはトップのままだ。ルックスの刷新によってファッション性や品格が備わった。タイメックスのウォッチから、『アイアンマン』という一つのブランドへと変わっていったのだ。



ーー『アイアンマン』がリリースされたのは1986年。スタイリングに加え、マーケティングの力も成功に結びついたのでしょうか?

H そう、ヒット商品の必須条件をすべて満たしていた。『アイアンマン』というネーミングがそもそも多くの心を掴んだし、広告も大量に打った。私が「ルネット・シェイプ」と呼ぶカマボコ型(訳注:前述の"Dシェイプ"のこと)が人気の『トライアスロン』も連想させつつ、おもて面にはプッシュボタンが2個配置されている。大いに受けるスタイリングだったね。『トライアスロン』より若干高めの価格設定も正解だった。そして8ラップ・メモリーを搭載していた。世界初だよ!



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※フーリハン氏による貴重な1984年の『アイアンマン』のスケッチ。'86年発売の『アイアンマン』だが、'84年時点で既に『アイアンマン』の名を冠したデザインがされていたことがうかがえる。

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ーー鮮やかなカラーも特徴的です。

H アナログウォッチの文字盤に色をあしらうことはあっても、それまでのデジタルウォッチは全て黒だった。『トライアスロン』との差別化で『アイアンマン』は初のカラー・ケースのデジタルウォッチとなった。



ーー最初からメタリックカラーが念頭にあったそうですね。しかし金属素材では重すぎてマラソンには不向きだし、メタリックな塗料だと剥げてしまうので悩まれた、と。

H ある日のこと、私はカリフォルニア・クパチーノにあるオフィスの駐車場を歩きながら、どう着色したものかと考えていた。すると一台のクルマが目に入った。メタリックグレイの立派なBMWだ。「ふむ、良い色じゃないか」と思った。実は私も工場を訪れて始めて知ったのだが、当時デジタル・ウォッチのケースにはすべて塗装が施してあるのだね。ケース素材のプラスチックには、強度を高めるためガラス繊維が混ぜてある。繊維が見えないように上から塗料で覆うのだという。どうせ塗るのなら、クルマ用の塗料を使ってみたらどうだろう? 会社に相談したところ、首を横に振りながらも「前代未聞だが、まあ調べてみよう」と言ってくれ、あのBMWとまさに同じ色のデュポン社製カーペイントを購入してくれた。『アイアンマン・トライアスロン』のケースに塗ってみたところ、大正解だった!



ーークルマの塗料に着眼した理由は、耐久性の高さでしょうか?

H その通り。タイメックスは厳しい基準に基づいて様々な摩耗テストを行う。クルマ用の塗料で果たしてテストに合格するのか?と問題になったが、私には確信があった。過酷な環境下で走るクルマに使う塗料なのだから間違いないと。その確信はテストで立証された。



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※1986年のカタログに掲載された初代『アイアンマン 8ラップ』。フーリハン氏がこだわったメタリック調のケースや4つのビスでトップリングをケースに固定したディテールなど優れたデザイン性と、100m防水や8ラップメモリなど高い機能性を備え、"スポーツウォッチの金字塔"と称される。



ーー世界で最も売れ続けてきたウォッチ『アイアンマン』は、貴方のタイメックス時代最大の功績と言っても過言ではありません。デザインが成功する要因とは何でしょう?

H デザインチームとエンジニアチーム、マーケティングチームの三者が互いにポジティブな緊張感を保ち、それぞれが必要とするものが充たされて軌道に乗った時にこそ、デザインは進歩を遂げる。その最高の例が『アイアンマン』なのだよ。



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次回はフーリハンさんに「Indiglo®/インディグロ」について伺います。



Vol.1 伝説の時計デザイナーの少年時代。/ BEGINNINGS: PASSION TURNS TO PROFESSION